いま、毎日の瞬間の積み重ねが人生であるということは、実はほとんどの人が言われれば「そんなこと、分かっているよ!」と答えることです。
でも、実際にこれを強く実感して、自分自身の人生を生きるために大切な時間を使っている人は、そう多くはありません。
日本の社会はうまくできていて、幼い頃から僕たちは「自分の意見」を持つことではなく、「誰かが言った正しいこと(正解)」を覚え実現するために訓練を受けてきました。
誰かの作った問題に対し、誰かの作った「模範解答を覚える」ことが正しいのだという価値観で生きてきたわけです。
これは国や世の中の仕組みを作る側の人たちが「君たちは自分の頭で考えなくて良いからね」と、考えない無知な人や情報弱者から搾取するために、そういう仕組みを作った。
学校の先生や親の敷いた「安定」という名の目に見えないレールに乗って、良い大学、良い会社、遠い求めてきた人が多いはず。僕もそうでした。
僕が「そうでした」という過去形なのは、少なくとも今はそうではない。
僕の人生では有難いことに転機があり、「あ、自分の人生は短いのだ」と気付かされる瞬間があったからこそ、本当に大事なことをやろう!それ以外のことをしている時間は残されていないのだ、と思うようになりました。
時間を大切に生きる人は、一度でも命の危機を感じたことがある人
僕の場合は10代、高校時代に脊髄の病気をしたことがきっかけでした。
数年間にわたり病院と家とを行き来する生活の中で、悶々とした葛藤を抱えながら大量の本を読み、自ら何かを生み出し発信する側にいる人たちに憧れ続けた。
その結果、20代のうちに自分の会社を作ることができ、自分で物事を始め進めることができた。
有難いことにお客様や仲間に恵まれ今に至ります。
よく「死生観」という言葉を使いますが、人は一度でも命の危機を本気で感じたことがあると、人生観がガラッと変わります。まさしく「死生に関する観方」が変わる。
何が変わるかというと、今この瞬間の時間の使い方が大きく変わるのです。
世の中というのはよくできていて、多くの人は自分の夢ややりたいことではなく、誰かの夢とやりたいことを叶えるために自分の大切な時間を使い、多くはそのまま気づくことなく一生を終えていきます。
自分の一生を誰かの夢を叶えるために使うのか。
それとも、自分の夢を叶えるために自分の大切な、命の断片である時間を使うのか。
どちらを選ぶこともできる。
そしてその差は、勇気の問題です。
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フラクタルが向き合いたいお客様というのは、中長期的なお付き合いができるパートナーです。
「最後の泥沼まで、お付き合いいたします」という言葉が、会社のありたい姿そのものです。
一生のお付き合いができる、そういうお付き合いがしたい!と思えるお客様と、そういう仲間と一緒にやっていきたいのです。
仕事は成果が大事ですが、そこでは圧倒的にプロセスが主なのです。
実はビジネスの世界に正解も不正解もなくて、結局のところ「やりたいことを、誰とやるか」が圧倒的に重要だと思う。
もちろん僕らはプロとして、コンサルフィーをいただくからには一切手抜きをしませんし、そこには自信があります。
もしこれを読んでくださる経営者がいるのであれば、きっとあなたの「やりたいこと」「実現したいこと」があるはず。そうでなければ経営者という仕事はできません。
僕らは、それを一緒に叶える、向き合うことをしたい。仕事を通してそれができたら最高ですね。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
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