2025年10月から6期目に入りました。
おかげさまで過去5年間で50社を超えるクライアントとお仕事をさせていただいていて、
お引き合いをいただいた皆さま。そして一緒に関わってくれた方々。
改めてありがとうございました。
これだけ企業のコンサルティングのご相談をいただけるようになってた中で、
一方でフラクタルの課題というか次なるテーマのようなものを
感じるようになってきたというのも正直なところ。
「困りごと」のご相談が多いというのは、
企業の課題解決を生業にしているからにはプロとして当然である一方で、
僕らがずっと掲げている「企業の在り方」という視点も大事だなと感じるわけです。
目の前の課題解決・目下の困りごとを解消するという意味においては、
僕らほど便利な会社はそうありません。
(ないとは言いませんが、これだけ小回りがきいて
万能なメンバーを抱えているのはフラットに見ても珍しいと思う)
一方で、目の前の課題解決をして企業の業績を上げるだとか、
営業や組織のテコ入れを行うことは、いわば特効薬のようなもの。
麻薬的なものといってもいいかもしれない。
要は依存性が高く、
とはいえコンサルティングを何年にもわたって行うというのは本質的ではないので、
どこかのタイミングではその企業自身で自走していかないといけない。
でも、そうなると企業経営における幹のようなもの、
原点回帰できるような「在り方」をちゃんと作っておかないと、
時間を経るごとに手段の目的化になってしまう。
「こうすればうまくいく」が特効薬になってしまい、
市況や社内の人材が変わるとその変化に応用できない状態になってしまうわけです。
実際僕らも過去に目の前の課題解決を優先した結果、
僕らが離れた後にブレてしまった会社やプロジェクトというのがありました。
目の前の課題解決を優先するアプローチは、
クライアントの意向に沿ったというのもありつつ、
一方で僕らも目の前から成果を出すということに
フォーカスしすぎてしまったという反省も大いにある。
そもそも論にならないためにも、
改めてフラクタルがなぜ、ここまで「原理原則」と言い続けているのか。
僕らが提供するコンサルティングの枠組みというものも、
ちゃんと輪郭を持って言語化をしておかないと、
結果的に僕らに経営・事業相談をするクライアントや
経営者自身の将来にとってよくないと思うので、
このタイミングで言葉にしておきたいなと思うわけです。
いま、この文章を書いているのが2025年10月。
急激に肌寒くなってきた中ですが(今年の夏も本当に暑かった。。)、
今から書く以下の内容は定期的にアップデートをしていく前提で、
現時点の僕らとしての集大成の上澄みです。
という前提で、読み応えがある内容になると思いますが、
目の前の業績を上げるだけではなくそれを維持し続けたいと思うような経営者の方、
またそういった企業に知恵を提供したいと考える方に向けて、書いてみようと思います。
フラクタルの原点 – 最後の泥沼まで、お付き合いいたします。

この言葉は、僕が会社を作ろうと思ったきっかけでもあり、
また、僕が会社をやるならこの言葉を何よりも大切にして
事業をやろうと思った言葉です。
正直、経営コンサルタントという職業は、
割に合わない仕事です。
自分自身が表に出ることは一切ない。
あくまでも経営者やリーダーたちの黒子でいて、
その成果に対して自分の名前が世に出ることはほとんどなくて、
時間差で世に出てくるのは事業会社の経営者や事業責任者たちがほとんど。
よく「コンサルという仕事は人件費だけだからいいよね」と言われますが、
まさにその通り。
まさにその通りで、
短期的には利益率は高い仕事だけど、
中長期的にはスケールするわけでも大きく儲かるわけでもない。
(事業を作りたい、会社を大きくしたいと思っている人には、
コンサルティング事業はゆくゆく足を引っ張るからやめた方がいいよ、と伝えることも多い)
「コンサルできるなら、自分が事業をやってみたら」とか
シニカルな表現もされますが、
ぶっちゃけ自分で事業をやる方が、
人様の商売を成長させるコンサルよりもよっぽど簡単です。
コンサルにも勿論いろんな人種がいて、
正直にいえば僕はこのご時世(というか平成の間からもそうだったか)
もはや「コンサル」という一時代は終わっていると思っているし、
自分で事業をやるのが儲からないから
コンサルとか教師業をやっている人たちがたくさんいるというのも事実。
そういう人たちは、資格職業の人たちも含めて
「先生」というあだ名で呼ばれることに快感を覚える人たち。
僕はあんまり好きじゃないですし、
僕のことを会社に招いて「先生」とか言うのもやめて欲しい。先生じゃない。
(あ、そういえば学生時代に、教職課程を学んだのはいい思い出。
その名の通り「教師」という職業の選択肢もあったけれど、それはまた別の機会で)
本当の経営コンサルタントというのは、
それを僕が語るのかという話は置いておいて、
人の商売をうまくいかせるために言葉を選ばずいうと、
クライアントをビジネス戦争で勝たせるために頭と体に物凄く汗をかく仕事。
どこまでも泥臭いし、日陰の部分も多いし、
そのくせ大して稼いでいないオジサンたちから
「コンサル屋さんは」とか皮肉を言われる、そんな職業。
割に合うかというと、割には合いません。
能力が高い人は、6〜7割くらいの力で、
ある程度の会社でそこそこの立場で会社員をやっていた方が絶対に得だし、
給料ももらえるし18時以降は趣味の時間もあるし、
今の時代は副業で稼ぐこともできる。
経営コンサルタントという職業、
コンサル会社を営むという覚悟を決めるということは、
そういうことです。
全然、おいしくはない。
カッコいい仕事ではなくて、むしろ対極にある泥臭い仕事。
でも、それでも、やりがいだけはあります。
今の時代、出世するのが嫌だとか、
上司になりたくない(部下を持ちたくない)、
なんで給料が10万円とか20万円しか変わらないのに、
出世しなきゃいけないんだと。
そりゃそうです。それと同じです。
人様の経営や事業を応援する仕事。
ひたすら応援して応援して、周りの人を勝たせて、
先に儲けさせて、最後にちょっとだけ引っ張ってもらう。
そんな仕事なんです。
だからこそ、関わった企業やその業界に、
何か1ミリでも自分の知恵と体で、価値を残す。
外から見たらわからないかもしれないけれど自分自身のやりがいとして、
その企業の歴史に、業界の変遷に、
そして何よりも勇気ある経営者やリーダーたちの
人生の1ページに刻まれるということの意義と誇り。
99%の泥臭さを被る覚悟がないと、
全く務まらない割に合わない仕事なんだと、
僕は思っています。
そんなやりがいのある仕事させてもらって、
たくさん稼がせてもらえて、本当に申し訳ない。
– Aufheben – 時代を越える原理原則と向き合う。

Aufheben(アウフヘーベン)という言葉を知っている人は、
勉強熱心な人だと思います。
(普通の人はあんまり知らない、哲学の用語です)
日本語訳すると「止揚(しよう)」。
アウフヘーベンは「相矛盾するものの一体化」という意味です。
フラクタルという会社名の意味は、
いろんな対比の中でも変わらない本質を大事にしたい———
そんな想いが込められています。
その社名以上に用いたかった言葉(というか概念)が、
このアウフヘーベンというコンセプト。
ビジネスは市場の奪い合いという意味で、
文字通り闘いです。
「ここまでやったら勝てる」というものではなく、
他者がやる以上のラインまで到達して初めて勝てるわけで、
だからこそ経営者やリーダーたちは日々、闘い続ける。
僕らのような黒子の存在というのは、
そのリーダーたちを勝たせるために、
知恵を搾って汗をかき続けるわけです。
「ここまでやったら勝てる」というものはないけれど、
時代という枠組みで振るいにかけられて
残ってきた闘い方というものは存在します。
そして、ビジネス戦争という枠組みを超えて、
時代の変化を時間軸で切り取ったときに、
時代を超えて変わらないモノが必ず存在します。
それは人間の本質であり、人間が作り出す社会や組織の本質であり、
人間の心理の集大成が市場なわけで、その原理原則を踏まえた上で、
今の時代で他者よりどこまでできるか。
「正しさ」という概念は時代によって変わります。
180度変わると言ってもいい。
たかが70年前は、人を殺すのが正義だった。
たくさん殺した人が褒め称えられた時代。
今までの人類の歴史は、争いと宗教の歴史です。
「自分たちはこれが正しいと思う」という想いが、
何を信じるかという宗教であり、
その思想や思想を共にする家族や仲間や国という単位で、
自分たちにとって正しいと思う立場のもと争いをしてきたわけです。
だからこそ戦略の原点は戦争から来ている。
現代は、物理的に人を殺すことはダメだとされている。
でもその闘いのゲームが「ビジネス」という資本主義の争いであり、
本質は変わらない。
僕はサッカーが好きですが、スポーツをとっても同じ。
スポーツは「我が国が、他者よりも強い」ということを
特定のルールの元で争う、現代版の戦争です。
時代や立場によって変わる正しさ・解釈がたくさんあって、
それは必ず今の誰かにとって矛盾している。
その相矛盾したものを一体化させるという知恵に価値がある。
相矛盾したものを一体化させた上で昇華させる。
その知恵こそがアウフヘーベンという概念で、
これは現代の企業経営においてもすごく重要な考え方。
現代の企業経営には矛盾したものがたくさん存在している。
業界の常識とその企業の生業、経営者と従業員、役職や立場の違う人たち。
例を挙げればキリがないくらい、
立場違えばそれぞれの持っている「正義」で闘っている。
それらを1つ上の視座から一体化させる知恵というのは、
かなりの教養と人間性が求められるわけで、
僕らが提供する知恵というのは矛盾に悩む経営者やリーダーの人たちの
心の救いになればと思うわけです。
常に物事の本質を見出すチームであり続けたい。
フラクタルという社名には、そういう願いが込められています。
会社の生き方そのものを一緒に描くパートナー。

もともとの僕の原稿では「会社の死に際から考える」と書いていました。
(流石に会社資料に「会社の死に際」という表現をするのは・・・
と言われて今の表現になりました)
一般的な手法としての会社の「過去→現在」、
いわゆる会社の成り立ちから理念を考える、
というフレームワークはだいぶ世の中に浸透した感覚があり、
「どうありたいか」という問いは経営者自身でも立てれるものになっている。
一方で「死に際にどうありたいか」という問いを自分自身で立てることができる
経営者やリーダーというのは限られていると思っていて、
それも「死ぬまでにやることリスト」とか「今日が最後の日だと思って生きよう」とか、
そんなありふれたことを言いたいわけではない。
僕らが提唱する考え方のひとつに
「家業から企業への脱皮」というものがある。
これは僕の尊敬するコンサルの師匠から受け取った言葉なのだけれど、
企業経営の目的として、「家業」として自分と関わる人たちのための営みがあるのか、
もしくは「企業」として存続し続けることを目的とするのか。
その違いが大きな分岐として存在する。
企業として世の中に、社会に貢献し続けるからこそ存続することが許されるわけで、
経営者やリーダーたちはその法人格のハンドルを握る1つの役割にすぎない。
もともと家業で始まった企業が、
発展するために企業に脱皮するという意思決定をするのは
そんな簡単なことではありません。
あらゆる困難を乗り越えて、
世の中と従業員への貢献を考えるという覚悟を持つリーダーがいないと、
家業から企業へ脱皮することは難しい。
僕らはそんな勇気を持ったリーダーたちを応援したい。
ちなみに、フラクタルは「家業」を目的として立ち上げた会社です。
僕と取締役を含めた創業メンバーで、
フラクタルをやる目的はあくまでも家業であると。
企業として存続発展拡大を目的にはしない。
クライアントの黒子として、
知恵を提供することで世の中に影響を与える存在でありたいと。
コンサルティング業を生業とする会社は、ど
ちらの選択肢もありうると思う。
例えばコンサルティング業界の頂点に君臨するマッキンゼーという会社は、
クライアントを第一優先として自社の上場の機会を手放した。
マッキンゼーの経営陣は、IPOにより巨額の富を手にすることができたはずなのに、
上場をすると株主というステークホルダーのための経営を求められ、
それはクライアントへの価値提供と競合するという理由から、
上場という選択肢を捨てたわけです。
でも、マッキンゼーの理念や提供してきた価値、ブランド、歴史は
今もなお世界中に根付いている。
マッキンゼー・マフィアという言葉通り、
知恵と知恵を生み出す人材輩出企業として、一線を画した企業。
ちょっと話は逸れるけれど、
僕はマッキンゼーという会社とそれを生み出した(創業者ではない)
マービン・バウワーという経営者にかなり影響を受けている。
振る舞い(ビヘイビア)が何よりも大事、
理念をどこまでも遵守するクライアントファースト。
この辺りの徹底度合いと、
世界中の叡智を集める在り方というのは、
すべてのコンサルティング会社にとって参考になるものだと思う。
一方で、これまた尊敬する日本人のコンサルティング業界の雄として、
大前研一さん、堀紘一さんにも影響を受けている。
特に堀紘一さんが創業し爆速で上場した
DIというコンサルティング会社は素晴らしい。
コンサル会社はIPOがダメと言っているわけではなくて、
結局は会社としての生き方、ひいては死に方の話が大事だと思う。
ぜひ、会社の在り方を違う角度で光を当ててほしいと思う経営者やリーダーたちは、
適当なコンサル屋さんに依頼するよりは、
絶対に僕らと1時間会話した方が得られるものがあるのではないかと思っているが、
ひとりひとり対話し続けるには限りがあるからこそ、
この「縮尺」というメディアでは、そういう視線を提供するものでありたい。
大切なのは原理原則に基づく一貫した企業の考え方。

そういった会社の在り方を考える上で、
よりかかる木の幹。
大木に育って枝葉が大きく広く広がっているときに支えとなるものが、
原理原則という考え方。
価値観であり、想いであり、それを事業として成り立たせ続ける戦略であり。
その戦略を描くためには別の記事で後述しようと思いますが、
現状を解像度高く可視化すること、
さまざまな業種業界と自社の立ち位置を相対化しながら、
会社の「ならでは」をあぶりだし、強みに昇華させる必要がある。
抽象と具体を行き来しながら、
横の情報と相対化させるという思考ツールは、
そういうトレーニングをしていないとなかなか難しいものです。
経営コンサルタントが稼げる理由は、
そういう特殊なトレーニングをひたすらにやっているから。
僕らは「情報空間」という考え方を大切にしたい。
物理的な空間の大きさ、アンテナの広さもさることながら、
時代や専門領域を横断した知恵を身につけることこそが、
中長期的に存続発展し続ける何りも根幹にあるもの。
もともと僕自身のバックボーンは物理学にあります。
少し広めに見ると科学全般といってもいい。
物理学という、世の中の理(ことわり)を探求する世界は、
何物にも変え難い魅力がありました。
まるで絶世の美女に誘(いざな)われるような、
一度足を踏み入れたら麻薬性に取り憑かれて戻ってこれないような、
そんな中毒的な魅力があった。
それこそまさに原理原則であり、
その対象が物理学の世界では極小(ミクロ)の世界だったり、
広大(マクロ)の宇宙レベルの話だったりするわけで。
その対象がいまは社会や経済というその中間のサイズで、
原理原則を見出して、それを応用するという枠組み自体は、
同じようなことをやっている。
社会や経済や経営や企業単位のサイズを行き来しながら、
時代や場所を横断しながら、その中で共通するものは何か。
時代によって変わるものはなにか。
そこから今の時代と半歩先の時代を考えて、
業界の未来をつくっていく。
存続企業の共通原理

「モノよりコト」だとか「意味が大事」と言われて久しい。
そういう言葉を発明したのは、
どこかのコンサル会社だったか、マーケ会社だったか。
さておき、想いで飯は食えないのも事実。
同時に時代が変わっても永く存続し続ける企業に共通するのは、
社会に存続しうる所以としての「意義」や「意味」を創り続ける会社。
「経営とは顧客の創造である」というのは
ドラッカーの言葉だけれど、まさしく経営の本質で。
少し前に流行った「イノベーションのジレンマ」という概念も、
既存の市場があるが故に企業が衰退するというモデルを描いたもの。
「顧客の創造」ができなくなった会社は衰退していく。
理念経営は大事だという一般論を言いたいわけではなくて、
地に足がついた経営思想と社会的な役割や意義を問い続ける姿勢と、
出た利益を顧客社社員に還元するのも大事。
それは素晴らしい。
さらに一歩、
出た利益を”知恵”に投資する会社というのも一定数存在する。
毎年、利益を出したら分析しなくてもいいのに
コンサル会社に依頼して、現状分析をしたり、未来予測をしたりと、
し続けいている会社も存在する。
毎年、毎年それを繰り返すのは、
やっぱり知恵に投資し続けることが大事だとわかっているから。
存続し続けるために、
その原理原則をアップデートし続けるために、
何よりも高い価値のある知恵を買い続ける経営者は、
知恵に投資するのが一番安いと知っているわけです。
学び続ける経営者やリーダーがいる会社の組織というのは、
そういう人たちが集まってくる。
フラクタルもそんな会社を応援したい。
*
ここまで書いてみて、僕らの在り方や想いの部分を言葉にしてみたけれど、
事業的な話は何一つ書けなかったので、パート2の記事に譲ります。
パート2の記事はこちら。
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